関東潜伏日誌


昨日の記述に対して少々訂正でも。
講義を聞きながらつらつら思い出してみると、どうもカナさんは終始”です・ます調”ではなかったように思う。
というか、このことに関しては、正直言うと記憶に無いのです。言葉に付いては全く意識してなかった。長い時間一緒にいたにも関わらず、最初の印象しか残っていない。
途中からは普通に話していたと思う。最初の会話で、”です・ます調”だと意識してしまうほど、そのことが気になったのだから、最後までその口調ならずっと気になっていたはず。でも、ごく普通に気になるところなく会話が出来ていたということは、”です・ます調”は抜けていたのだと思う。そして、あ、方言だ、とは思いはしなかったから、やはりカナさんは標準語を喋っていたのでしょうね。


「やられた!」との感想の真相は、思っていたよりガキじゃねぇ、思っていたより身長高い。
ということだったらしいので、ホッとしました。そして中身に関しては予想通りともおっしゃるので一安心(?)。
しかし、意外だったのが、僕の文章によって若い印象を持たれていたこと。
これはとても面白いですよ。ここの文章は地が出ているはずですから。思考は幼いんでしょうか。いや、幼いとは語弊を生むか。青臭い。ってこれも似たような意味か。
対人であると、その人に合わせての話し方ができる。でもここのような一方的な発言であると、読む人を意識し、文章の体裁は整えはするけれど、内容面に関しては地の部分がそのまま出る。と思う。少なくとも僕は演出を加えていないので。


カナさんのこの文章(http://d.hatena.ne.jp/cana/20040823#p4)はキュンとくるのですけど、また一方で、妙に照れくさい、恥ずかしい。自分らしき人物が登場しているからか。
創作はできないとおっしゃるけれども、これだけ書ければ、なんでもできそうに思うのですけどね。
こういった文章を、章と章の間に挟むと。あるいは始まりでも。このような人称を控えた心象吐露のような文章の次には、3人称で小説を進めてみましょうか。って何を言っているのでしょう。


カナさんは文章に対する意識が高いので、なぜ文章の内容面からでなく文体からその人の印象を持ったのか、という問題提起をしてくれて、これは面白いなと思うのだけど、とりあえず今は時間がないので、またそのうち考えてみようかとも思う。
今ちょっと思うのは、内容から抱く印象は玄関のようなもので、文体から受ける印象は座敷に存在しているようなもの。ってこれはわかりにくいたとえだね。
内容面から受ける印象は手前にあって、文体から受ける印象は一歩奥にあるのではないかという感じ。