川上弘美を材料にしてだらだら喋る。
今回『センセイの鞄』を読んでいて思ったのだけど、小説にはタイプがあるね。のめり込んで読んでいける小説とちょくちょく立ち止まって読んでいく小説。
これは読み手の個人差がありすぎるような感じだけど。
川上弘美の作品は、僕の場合、ちょくちょく立ち止まりながら読んでいくタイプになる。ふと文章を追うのをやめて、いろいろ想像してしまう。自分の記憶を反芻してしまう。
作品が前面に出てこず、自分を投影できる余白の部分が存在しているというか、なんというか。作品を読むことで、あれこれ考えてしまうんだ。
今思いつくだけで、このタイプの作品を書く作家をあげれば、村上春樹保坂和志堀江敏幸かな。
一方、のめり込んでいく小説を書く人は、この前読んだばかりの、山田詠美であったり、村上龍金原ひとみ。物語をどんどん押しつけてくる。だから作品に埋没して読んでいく。
どちらが良いとか好きとか言うんじゃなくて、単なる印象。
川上弘美の小説には情景描写がやっぱり少ない。それでも長編になると少しは多い。でも、他の作家と比べると少ないはず。
センセイの鞄』は、エピソードごとに章でわけられてあるので、長編作品といっても、短篇の積み重ねのようなもの。連作短篇に見える。
もしかして川上弘美の作品ってこういった形式なんだろうか。それならば、情景描写をおさえた書き方でもたえられる。ただ、やはり、ある程度長い作品になると、淡泊な感じが生まれて、味気なさを感じるようになる気がする。
次は何にいこうか。『蛇を踏む』か『神様』あたりかな。
そういえば、川上弘美作品には酒を飲む場面が多いよね。昨日も書いたけど、酒が飲みたくなってくる。居酒屋で飲みたくなってくる。
でも、田舎にいては実現できないんだ。居酒屋に行くにも車で行かないといけないから。誰か酒を飲まない人に運転してもらって行くしかない。タクシーで行くなんて考えられないしさ。
作中にも出てくるが、酒を飲んで店を出たあとに、連れだってふらふら歩くのがいいんだ。ベンチに腰掛けひと休みしたり。夢想です。
そして川上弘美の作品に出てくる人物は上手に酒を飲むよね。上手というか、スマートというか。そのように上手に酒を飲みたい。
でも僕はビールが好きじゃないからな。いや、飲みはするけど、そんなに得意じゃない。だから、とりあえずビールってのができない。流れというのが作れない。日本酒が好きで、すぐに日本酒を飲んでいたい。
まだまだいろんなことを思った気がするけど、思い出せなくなったので、とりあえずこの辺でやめておこうか。