読了

良いものは良いとしか言いようがなくて、月並みだけれど、すごく良かったです。
川上弘美の文章って中毒性というか、ハマるというか、クセになるところがあるね。
うまくまとまらないので淡々と書いていくけれど、まず思ったのが、反則的なまでに説明がないなということ。
センセイの像がまるでない。視点であるツキコが37,38歳。センセイは彼女の高校のときの教師であり、彼女より30と少し離れている、とあるので、それなりに高齢なのはわかる。ただそれが何歳くらいなのか、どんな風貌なのか、今何をしているのか、という情報は全くと言っていいほどない。さらに言ってみれば、センセイのみならず、登場人物にはあまりはっきりした像がない。
イメージを限定させないので、多くの読者がより気持ちを重ねられるのかも。極端に言うと、物語を提供しているんじゃなくて、かなり制限はあるが、一つの恋模様のシチュエーションを提供しているのかな。いや、うまく説明できない。ツキコの心理描写が圧倒的に多いのだけど、それはツキコという一人の女性の心理というよりも、もっと普遍的な、恋する女性の気持ちを表しているのかなと。だから読者の波長が合えば、のめり込むようになる。
教師と教え子、30と少しの歳の差、といった設定はあるけれど、それは読み進めるうちに霞んでいった。ツキコは30代の女性ということも忘れて、もっと俯瞰した、歳の差のある男と女の恋模様、というかたちで読めた。
センセイは不器用な男なんだろうか。その辺がよくわからない。あまりにぼやけていてつかめない。なんかイヤな奴かもしれない、という気持ちはある。
ツキコが自分を好きであるという気持ちがわかっていながら、はっきりした態度をとらない。それについて、もう歳だからツキコと関わることに戸惑っている、というならわかるが、そういった様子がうかがえないのが気になるところ。これは男の見方か。あるいは、そう思うのは微妙に続く二人の関係にやきもきしていることの裏返しか。
ツキコは可愛い女性だなという印象をもった。30代云々というのはもう忘れた見方をしていたから、年甲斐もなくという言葉は抜きにして、ごく単純に、女性として可愛い人だなと。恋いこがれ煩悶とする様が可愛らしいというかね。
そういえば、川上弘美が描く女性はみんな可愛い印象を持っている。この前読んだ『溺レる』でも思ったし。
やはり、うまくまとまらないな。もう少し、だらだらと。
ツキコが実家に戻ったときの様子が少しあったけれど、父親の存在がなかった。はじめのうちは、ツキコはセンセイを父親代わりに見ていたのかもしれないな。どうかな。
最後の最後、センセイの”鞄”の中を強調して描写しているのだけど、これはやはりすべての象徴か。
あと、文句を一つ。つまらない些細なこと。

一度だけ、センセイが携帯電話をかけてくれたときの話をしようか。(p273)

最後の3ページでたたみかけるように終わるのだけど、最後から5ページのところにあるこの一文が、最後の効果を台無しにしているような気がする。この文章で、はっきりと最後がどうなるかというのが読めてしまう。”しようか”といった完全に過去を振り返っている語り口を表さず、それまでのタッチで書けば良かったのに、と思ってしまう。好みかな。これに気づいたら、結末までに挟まれているエピソードが脱力した感じで進んでしまう。やはり好みか。
ふわふわしていてうまくつかめない。なんだか懐が深い作品というか。踏み込めばどんどん行けそうだけど、手前でも十分に満足できるもの。読んだ人同士でいろいろ話せる作品であるように思う。読書会なんかで取り上げれば最適だろうね。
あと、この作品は映画化されているようなんで、見てみたくなったな。ふわふわして像のない登場人物にきちんと形を与えて見てみたい。