お、久しぶりだねぇ

と最初の診察で医者に言われたのだけど、そういえばこの病院へ行くのは2年ぶりだったりする。
病院と書いているのは実は正確ではなく、本当は開業医の医院。
以前、療養生活中の時も通っていたので、顔を覚えられていても不思議ではないのだけど、2年も行ってなかったっけ、とちょっと意外だった。
2年前はたぶん咳がとまらなくなって診察に行ったはずだ、とそのときのことは良く覚えてる。


おそらく”通院数”は同世代の人の中では多い方なのだろう。
21歳の時は内科に通ってた。22歳の時も内科に通ってた。23歳は何度か病院にお世話になったろうけど”通院”はしていないと思う。24歳の時は整形外科に通ってた。25歳の時も整形外科に通ってた。
ここで書いた”通った”というのはどれも1ヶ月以上だったりする。
やれやれだ。
歯医者は除いてみたのだけど、歯医者を入れるともっと”通院”しているはず……。


と、別に望んでいるわけではないけれど、病院に居ることが多い。
病院って待ち時間がけっこう長かったりする。
僕の場合、人が何人か居る場所での読書は苦手なのだけど、この診察待ちの時間に読書することは多々あった。
そのときのことが病院の待合所の光景と共に妙に記憶の残っていたりする。
そして診察待ちの時の読書は小説じゃない本が多いことに気づく。
三島由紀夫の『文章読本』であったり丸谷才一の『文章読本』であったり(と偶然にもどちらも病院で読んでる。谷崎潤一郎にも『文章読本』という本があるけど、さすがにこの作品までは病院で読んでない)、あと、村上春樹のエッセイ(『やがて哀しき外国語』とか『村上朝日堂の逆襲』とか)。
かるく読める本であるならば、まだ人が居ても読書に集中できるのだと思う。
今回は堀江敏幸の『河岸忘日抄』を読んでいた。
ちっとも読み進められなかった。
やはり小説だとダメだ。
というより、他人の居る場所での読書は苦手だ。