natsukawa2005-06-07

やくざな仕事をほどほどにこなし、午後からはジムへ。
たいてい火曜日と金曜日、そしてたまに木曜日、と曜日を決めて通っているので会う人はだいたい同じ。
それが今日は新顔に3人も会った。40歳前くらいの女性と30歳前後の男性と70代くらいの男性。
レーニングマシーンはいつもあいているので僕が専有しているようなものだったのだけど、今日みたいに人が増えていると、さすがに独り占めはできなくなってくる。
だから今日はわりと変則メニューで運動。
腹筋は毎回40度くらいの傾斜をつけてやっているのだけど、腹筋をしようと思ったときちょうど30歳前後の男性も腹筋を始めた。それが20度くらいの傾斜だったので、その隣で40度の傾斜をつけてやるのは対抗しているように思われないかな……とかいらぬ気遣いをしつつ空いてるところを見つけては黙々と筋トレ。
どう見たって70歳はこえているだろうという老人は元気に運動していた。
柔軟体操を見ても十分柔らかく(余裕で僕より柔らかい)、腹筋運動なんて30回はしていたように思う。
すごいよ爺さん、まだまだ若いじゃん。
って親指をたてて突き出したい気分だった。


20代も後半になると、同い年の友人には、俺らはもうおっさんだよ、となにかあるごとに口にする者が出てきた。
それを聞くごとに、やれやれ、って脱力し、自分だけおっさんになってなよ、って毒づいてしまう。
年齢だけでおっさんかどうかなどを決めることは、本質を無視し世間に流布している価値観を無条件に受け入れているようで、極めてイヤな気分になる。
としがいもない
という言葉は、年齢に似合う思慮分別がないことをさして言われる言葉だけど、思慮分別があってもその人の言動とその人の年齢から抱かれている世間一般の印象があっていないという場合(わかりにくいかな……)でも使われてしまっているような気がする。
世間の価値観にアンチ体制をとっているものにとってはある意味褒め言葉になるのかな。
……こんなことはひねくれ者のたわごとか。


思い出した。
日曜日だったか、夜の番組で、メトロセクシャルという存在を特集しているものを見た。
自分に気をつかう――ファッションやスキンケアに熱心になる男性の事を言うらしいが、格好良さは関係ないのかな。
ファッションに関心がない僕がいうのもなんだけど、取材されていた人は高価な服をいくつも持っていたけど、全然似合ってなかった……。
高級ブランドの服を着れば万人が格好良くなれるかといえば、明らかに違うわけで、ファッションに気を遣うというのであれば、ちゃんと自分を認識して服選びすればいいのに。
美輪明宏がよく現代日本人の美意識の欠如のことを口にしているけれど、こういうところにあらわれてくるのかな。
まあ、
年がら年中ジーンズだし、上はたいていニットの長袖(夏は腕まくり)だし、履き物はサンダル(誰かと出かけるときはさすがに靴)、という僕は話しになりませんでしょうけども。